65歳でブログ始めました。

<母へのレクイエム & ブログ奮闘記>  <そして日々のこと>

思うこと

【月命日】年をとる予習をしてた

今日で母が亡くなってから6年と11か月です。

数字だけ見ると実感がわかない。そんなに長い間、私何してたのだろう。

時が止まっていたのかな。

近頃、母と同じになってきたと思い当たることがちょくちょくあります。

母は、年をとってこうなったとか、ああなったとか、よく話してくれたから。

そのひとつが肌が弱くなったこと。

それで、縫い目が直接肌に肌に当たるものはすべて裏返しに着るようになりました。

赤くなったとか、何か実際に皮膚トラブルが起きたわけではないですが、ゴツゴツとした縫い目が肌に当たるのが嫌なのです。

これ、母がやっていたことと同じ。

赤ちゃんの肌着みたいと思って見ていたけれど、こういうことだったのかと今になって実感して腑に落ちました。

私、肌は丈夫だったんだけどなあ。

57歳から92歳で亡くなるまでの母をずっとそばで見て来たことで、人が年をとるということを身近に学ばせてもらいました。

そして71歳の今、なるほどねーと思い当たることが出てきました。

これからも、もっともっと出てくるのでしょう。

しっかり予習?させてくれてありがとうね。

前にも載せた写真ですが、一緒にエジプトに行ったこの時には母がすごいなんて思っていなかった。

今は母に限らず、高齢でお元気な方々を見ると感心するし勇気がでます。

2006年12月 一緒に行ったエジプトでの母 この時81歳

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【月命日】初投稿から6年

今日は山の日、一昨日は長崎原爆の日でした。

原爆投下から78年。終戦当時20歳だった母は、生きていれば98歳。

青春時代ずっと戦争だったと言っていた母。戦争に巻き込まれずに終えることができる一生は少ないと言っていた母。

戦後7年に生まれた私は戦争を経験せずに今年71歳になりました。

世界のそこここで起きていることを見聞きする度心が痛みますが、日本はどうか、ずっとこのまま平和が続きますようにと願ってしまいます。

猛暑続きで気候の異常がはっきりとわかるような夏ですが、気づけば一昨日、ブログ初投稿から6年。

そんなに続いたのかと、初めて投稿したあの頃のことを思い出しました。

3月11日に母が逝き、8月9日に初投稿。
思いを書けば少しは喪失感の辛さから解放されるかもと思ったのが動機。

幸い心にぽっかりと空いた黒く深い大きな穴にはあて布をして、しっかりと縫い付けることができました。

あとは小さな穴から幸せな思い出だけが多少の切なさを伴って透けて見えるくらい。

それでも休み休み、6年よく続いたなあと。

ここまで続いたなら、これからもぼちぼちと・・続くかなあ。

「あんた、根気がいいねえ」と母の声が聞こえてきそう。

♡ ♡ ♡ ♡ ♡

2015年9月 クラブツーリズムのバリアフリー旅「ドリームフェスティバル in 河口湖」に参加した時の写真。

いつも私が撮っているので2人で写っている写真がとても少ないのですが、添乗員さんが気を利かせて撮ってくれました。

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【月命日】母の命日に自分の老後を考える

母が92歳になったばかりで亡くなって6年と4か月。

母とお別れした時64歳だった私も71歳となり、自分の老後を考える時期となりました。

未だ日々心の内では母に話を聞いてもらい、折にふれ思い出に浸ることも多い日々です。

母が晩年外出は車椅子だったこともあり、べったり過ごした日々がそうさせるのかな。

子どもの頃一人っ子の時期が長く、依頼心が強いと通信簿に書かれたことのある私ですから、いくつになっても「お母さん」は恋しいものです。

母を恋しがってばかりの中、ふと自分のこの先を考えてみると、母の亡くなった年齢まで21年足らず。

友人が言うには

「100歳まで生きても後29年しかない」

先日も書いたけれど、もう一人の友人が言うには

「会いたい人には会える時に会っておいた方がいい」

そのことば、噛み締めています。


2006年12月 一緒に行ったエジプトでの母 この時81歳

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【月命日】スーパーアクティブシニアだった

70歳になってみて、母も70歳の頃こんな感じだったのだろうかと先日ブログに書きました。



その後、ふと考えてみました。

母70歳の時、私いくつだった? 43歳。だったら娘は16歳で息子が13歳だよね。

当時の生活を思い出してみると、高1と中1の孫がいて、フルタイムでガンガン働くワーカホリック気味の娘に代わって5人家族の家事、炊事をする母。

食料の買い出しから食事の支度、掃除、洗濯となんでもこなし、私がいる週末には毎週泊まりで「新ハイキングクラブ」の登山に参加。そこで知り合った友人達に誘われてのランチ会。1人で平日昼間の映画も家事の合間にさっと見に行き、年に2回は海外旅行。

そうだった、そうだった・・・気づきましたよ。母は相当なアクティブシニアだったんだ。

母よ、あなたは偉大だった。私なんて足元にも及びません。

「海外は70代までの体力がある内よ。行きたいところに行っておかないと行けなくなるよ」と言っていた母。70代って大事なんですね。

それにひきかえ眠ったようにのんびり生活している70歳の私。母が生きていたらハッパをかけられていたかな。

今日は母の月命日で、気づけば来月には七回忌。

母を看取り、葬儀、四十九日、三回忌と、悲しみの中で怒涛のように押し寄せる段取り。思い起こせば良くやれたと。

70歳になったのを機に、七回忌からはグアムにいる妹と福岡でお墓を守ってくれている弟にバトンタッチしたいなと言ってみたら、「もちろん!」と快く引き受けてくれたので心底ほっとしました。いい妹弟を持って良かった。

新型コロナの終わりまであと少しというこの時期、法要をやるやらないは2人にお任せして、どちらにしろ無事に七回忌を迎えられ、また福岡でみんなと笑顔で会える日を楽しみにしています。

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2006年7月 バリ 母81歳

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2007年6月 ドイツ 母82歳

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2008年7月 北海道 母83歳

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2013年5月 自宅にて  母88歳

                  

「ご高齢」1年生

12月の終わりに区の健康診断を受けた時の話です。

毎年同じ病院で受けているので、いつものように数日前に娘が大腸がん検査キットと事前記入可能な問診票を取りに行ってくれました。

その時「ご高齢なので朝食は5時半までなら構いませんよ」との伝言があったとのこと。

いつも健診は朝一番で、これまでは前の晩9時以降は水以外飲食禁止という指示。朝食べていいと言われたのは初めてのことです。

・・いいと言われても朝5時半は夢の中だわ・・

娘は「低血糖でも起こして倒れられたら困ると思ったんじゃない?」と。

でも、前回まではそんな優しいというかゆるいことを言われたことはなかったんだけど。70歳になったから??なんて思いつつ、

まあ「念のために」いつものように前の晩9時以降は水以外口にせずに健診へ。

受付で「朝食は食べましたか?」とお決まりの質問。夜9時以降食べていないと言うと「良かったです。食べていたらオプションの腹部超音波検査ができないところでした」と。

結果オーライ(これもう死語?)だったのですが、人生初めての「ご高齢なので」経験。

69歳と70歳の違い。間にある垣根を越えた感。

まだまだ「ご高齢」経験値の低い私も、こうして自分の感覚と、世間一般から見た「70歳」という感覚とのずれに慣れていくのだろうなと思いました。




プロフィール

もりの ふくろう

母永眠 2017.03.11(92歳)
初投稿 2017.08.09

ブログを始めたきっかけは、母を亡くしたこと。

心にぽっかり空いた穴を埋めたくて。

家族:夫と娘。近県に息子も。

6月 71歳になりました。

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